人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アクティビスト、フェミニスト、クィアとして活動するとある外国大学関係者の生活の中からの視点。(C)flowfree 初めて寄られる方は、カテゴリ:管理人、の”こんにちは”を読んで下さい


by flowfree
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カウンセリング: ヒト助けか、精神操作か。

ご存知なかたも多いと思うが北米のカウンセリング文化というのはとても発展している。
個人の悩み相談としてもカウンセリングだが、キャリアなどの将来の方向性を相談、というのもカウンセリング。
大学に併設してあり、どちらも一つの場所で行っているので、誰がキャリアで誰が個人の相談に行っているのかはわからなくなっている。
というか、こっちのヒトは他人のことまで知ったこっちゃナイ。どっちもカウンセリングで変わらない。大学だと学生の手数料にカウンセリングも入っているので余計にお金を払わずに誰でもいつでもいけるようになっている。そして学校外でも大きな企業ほど専属のカウンセラーを社員のために雇っている。日本の外企業もそうだ、と聞いたことがある。仕事の向上のために、まわりとうまくやっていくために必要不可欠だ。

カウンセリング: ヒト助けか、精神操作か。_b0058997_4463919.jpgしかし、一般のヒトはなかなかいけない。保険が高すぎてきかないアメリカなども。普通/安くて一時間80ドルくらいだろうか。給料の良さからカウンセリングをプロとして目指す人間も多い。そして受ける方は中流家庭か以上のヒトしか”掛(かか)れない”、よく言えば小金持ち以上やエリートが日常生活に取り入れている。セレブ俳優、女優が自分の仕事の質の向上のために、そして恋愛関係を保つため、日々の”正常心”を保つため、一人一人にカウンセラーが付いているのは当然だ。あの俳優、ミュージシャン、モデル、と、いなかったら驚く。ふつーに、芸能事務所に所属していればそこでカウンセラーが雇われているはず、それかどうせ経費で落ちるし。カウンセリング受けられる立場にいれば幸運なのだ。現代の北米(と言ってもアメリカですね)にカウンセリングは必要不可欠。文化/社会的にも、経済的にも、権威主義を保つためにも。

カウンセリングの効果はすさまじい。自分の性格のこと、恋愛のこと、キャリアのこと。そして結婚したら相手のこと。ほとんどの愚痴を聞いてもらうのにカウンセリングが使われる。
ある意味、恋人/パートナーに”愚痴っぽい”なんで言われないように、ということもこれで解決できる。ネガティブな事は全部カウンセラーと処理して、家ではニコニコとやさしい、温和で理解のあるいいヒトになれるし演じやすい。ここの文化ではヒトの悪口や愚痴が、”ヒトとの関係の中で当然でるモノだとは思いたくない”人間が極端に多いと良く感じるのだが(実際、喧嘩するほど仲が良い、という観念はこちらには全くナシ!)良い所だけを集中して言葉にだす、という風習が良く見られる。(良くも悪くもそれに影響されていくのだ)。

筆者が一度仲良くしていた友人がいた。院生の時のクラスメイトだった。彼女は医者の娘で、兄貴も医者、という。そしてそれも心理科だった。金持ちだからと家族が医者、という理由からだと思うが彼女は家族で選んだカウンセラーを持っていた。もう小さい頃からずっと専属で付いている人だ。その人は彼女のことをなんでも知っている。その割には彼女は自分の個人的な感情がヒトに話せない、という心の問題のある女性だった。ヒト、と言っても専属カウンセラー以外は。だから恋人ができてもその恋人にどうして好きになったか、どこがいいか、自分のどこがいいと思うか、なんでもいい、自分の思う、感じる状況が言えない。専属カウンセラーに代わりに言う。

その原因は以前感情を激しく言ってしまってヒトを傷付けたのと傷付けられたのがトラウマのようになってるかららしい。好きなテレビの話などはできても、個人的な心情が入る恋人の良い所、うれしかったこと、なんでもそういったものは専属カウンセラーには楽しく話せるのだが、付き合っている相手に言えず。結局、そんな心の病を気遣って、”そんなことは話さないでうすっぺら~いテレビの話だけでもいい”、というヒトとは続いたがそうでないヒトには”なぜに専属カウンセラーには全て話してきてすっきり顔で帰ってきても自分の前では悩んでんの、そんでそれも話せないの”の繰り返しで続かなかったようだ。この家族ではこういった問題がキョウダイ、母親、父親、とカウンセラーを通じて伝わっていた。(ああ、ついていけない。。。)カウンセリング: ヒト助けか、精神操作か。_b0058997_449593.jpg

一般的にパートナーと仲たがいしたくない、けどこのままでは一緒にいられない、という時に良く間にカウンセラーを入れる。それによって結婚も続く、家族は幸せを保つ、仕事場の関係もそのまま(結婚が仕事上に影響するのはこちらもある)、お互いの経済的レベルも保てる、などの利点だらけなのだ。自分の知り合いの日本からの男性で白人の女性と別居しているのがいるのだが彼らもとうとう月に一度のカップル・カウンセリングを始めるらしい。しかし始める前から”自分は悪くないから奥さんを治すため”なんてほざいてるので成功するかというとかなり疑問。しかしこの彼も10年以上前に日本から移民してきて、仕事の基盤も、生活も、奥さんがいないとやっていけないだろう。離婚するよりも一緒にいたほうの利点が多いのは事実。大きな離婚の原因の一つというセックスレスに助言をもらえばもしかして彼にもカウンセリングは効くのかも。

日本から来ると、この文化に初めはなかなか馴染めない。学部生の時にキャリアの話を聞こうとしても、どーせ聞くならそのキャリア関係の仕事してる人に直接聞けばいいんじゃないの?と思ってしまうし、あまりカウンセリングの意味がわからなかった。結局、カウンセリングは”準備”を整えるところなのかな、と思えてきた。例えば直接仕事をしてる人に聞く前に何をしたらいいか(資料を集めるなど)、自分はほんとにそういうことをしたいのか、その他の可能性も考えたらどうか、などなど。気持ちの整理、準備、といったところか。結婚の準備、離婚の危機を乗り越える準備、仕事に自身を持つ準備。。。そういったものの手伝いのようだ。

そして日本から来たことが理由か、自分の性格が理由か、筆者は初めは(今考えるととても申し訳ないが)カウンセラー全てを疑ってかかっていた。”なぜにあなたがこっちのこと知らないのに手伝いできるのかい”と。ま、カウンセラー自身が言うように、自分に合った相手を見つけるのも大事なのだ。大学のサービスを使ったこともあり、これもダメ、あれもダメ、これはどうか、と結局”カウンセラー・ショッピング”をして3人目にま、いいか(偉そう。。。)という人物を選んだ。

自分はフェミニストや少数派の自認があるため、こういった人たちを専門に勉強してきていて経験があるカウンセラーを選ぼうとした。一人目はアジア系女性(中国系かな)を選んだ。しかし彼女はなんかオドオドしていて、目が動いていて挙動不審のような感じ。時々”カウンセリングが必要なのはあなたでは?”というカウンセラーもいるので(一応これらの大学のカウンセラーは博士号を持った、ふつーだったらかなり高いお金を取る人たち)相手がプロで教授だろうが、自分は様子を見てうーん、次!と変えた。次は白人女性の、お母さんのような、やさし~いほがらかなオーラを出したカウンセラー。考えすぎかもしれなかったがなんかそれも対等に見てもらっていない気がして(キリスト教の隣人助けのノリ、というか)これもパス。そして三人目は、白人男性。一番避けてたタイプだった。だけど話したら彼はイギリス出身で、アジアの少数派の研究をしていた人で、筆者をふつーに扱った。”友達”のようになれなれしい感じもないし、いつも笑っている感じでもない。尊重し合い、お互いの意見を交換できるような、イギリスの植民地政策批判の話なんかも出来るような相手だった(もちろん日本のソレも)。やっぱり”ショッピング”はしてみるものである。カウンセリング: ヒト助けか、精神操作か。_b0058997_454454.jpg

まあ先々の話をしていくのに、このカウンセラーおっさんとは付かず/離れずのように年に何度か寄ってみた。しかしあるとき他の大学に移ったと知らされ、もう行くのをやめた。もうなんか自分でカウンセリング一般から白々しい感じを勝手に感じていて、選んだ男性が良いヒトだったので、人数が多そうな他のカウンセラーからまたヒトを見極めていく気力がなかった。それと、もちろん、キャリアの相談なのだが、キャリアの築き方、というのも文化の違いが多大にあり、キャリアのことを考えながら、準備しながらカウンセリングというサブ・文化に慣れて行くようになっていくのも怖かった。これは話を聞きながら常に頭を横切っていたことだ。自分は他の多数派の人間とは違うアプローチをカウンセリングにも自ら入れていたので、アメリカが構築したその文化に染まっていなかった自身はある。例えば他の共和党を支持しているようなやつらと一緒のキャリア志向を持っていたわけでは全くないし、そんな人たちと同じアドバイスを受けてはいない、と断言できる自身もある。そのためのイギリス/日本の植民地批判なんかを取り入れた会話だ(ってそれが伝わっていたかは別。でもそのカウンセラーは反共和党だったのは明らか。そんな政治思考は無関係と思うカウンセラーも多数いるが自分にとっては大事だった。だって戦争を支持した人間のアドバイスに学校の手数料としても金を流されるのは自分のコントロール外だ。だったらその中から選ぶ権利を時間がかかっても試みる)。まあ結局、未だに筆者はカウンセリング文化を構造批判的に見ているのである。偏見、というよりも一応見たり、聞いたり、経験したり勉強もした上でのつもりだ。これは文化の違いが物凄く関係している。こっちの人たちの価値観や精神構造の働きを保つためにカウンセリングというのは必要なのである。

でも筆者の友人のように、カウンセリングに慣れている事によって無意識の依存がでてるようにも見れる。いつのまにかカウンセラーにはなんでも話せて、恋人にも家族にもちょっとした感情が話せない、とは。まあ、何も誰にも話せないからカウンセラーが必要で、それがきっかけ、と言うヒトもいるだろう。だがもうニワトリ・卵の関係になったらどこで線を引けばいいのだろう。

個人的には悪いことも良い事も、表現の仕方はまず大事だが、人間の感情には大切なものなのではと思う。それを感情、心から削除していく、という精神の操りは必要なのか。犯罪が少なくなる?離婚が減る?なんか人権的な話のような気もする。良い事ばっかり言う人で良いヒトももちろんいる。でもそれじゃまるで"良い”指令を受けたロボットみたいじゃないか。正直な気持ち、というのがあって、普通はそれに良い・悪いなど様々な感情があるのだが、理想とされているのはその ”正直、という気持ちを良いものだけで構成できるようにコントロールすること” らしい。恐ろしいと思ってしまう。これは多くの人々が日常で、理想として、それを実践に励んでいるヒトも少なくないという精神状態だ。

こんな経験からまだ日本では喧嘩もできる関係、言いたいことの言える関係、というのがある程度尊重されているから救われたりもする。まあ、ここまで考えるのも筆者が大学の環境にいるから余計そう感じているのかも(カウンセリング文化は上で言ったようにエリートや中流家庭からそれ以上)。

ちょっとした文化背景をここで説明したので次回はカウンセリングの経済的、権威主義保持の為の効果について、最近の音楽ビジネスと戦争事情を入れて書いてみたい。(次はもうちょっと短くまとめたいデス。。。)
by flowfree | 2005-07-07 17:01 | 文化の違い