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アクティビスト、フェミニスト、クィアとして活動するとある外国大学関係者の生活の中からの視点。(C)flowfree 初めて寄られる方は、カテゴリ:管理人、の”こんにちは”を読んで下さい


by flowfree
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専門職学者の社会性は小学生並み?

学問の訓練の違いというのは想像以上にある。
博士だか教授だか一つの専門をやっている人間が
他の専門の人間と会って一つの一般の話をしていると
どうも社会性のある、なし、を良く感じてしまう。
コミュニケーションというのが出来ないのだ。

現在、”外国人”同士で交流する集まりで文化に触れるため
一つのテーマをそれぞれが決めて話し合う、というものに参加している。
多いのは東ヨーロッパからの人間と東アジアの人間。
自分のグループには日本からの人間は私だけで。
そして15人くらいいるグループの専攻がサイエンス系じゃないのも私だけで。
そこで自分はかなり我慢している。
自分は社会科学の知識が専門なため、”一般の話をして文化に触れる”
となると日頃考えていることに繋がることが多い。
だから正直色々なレベルで話せるからどこから話そうかな~と
トピックがはっきりすればするほど面白そうと思う。

しかし、コンピューター、エンジニア、経済、などの知識背景から
来た人間にそういった一般的なテーマで話してもらうと
はっきりしたトピックだと何を話していいかわからないらしい。
だから大きなテーマに残して、一般的にまとめたくなるらしい。
それでそんな偉そうな選ばれた人間が
”家族””将来”"教育”という大きなテーマで
~百年、~千年の歴史や
文化を数分でまとめて話してしまっていた。
それも同じ国出身の5,6人が同じようにうなずいていたりする。
なんとも表面的で小学生でも話せる内容となってしまっている。。。。。

小学生の知識がおかしい、ということではなく大学で何年も訓練されている
ことがほんとに一般社会では役に立たない、ということを証明してる気がするのだ。

家族の関係、将来という意味、男女の役割、などなど・・・
ここまで表面的な話を続けるとステレオタイプを強調するだけの気もする。
なぜなら彼らの一般的な文化の理解、というのはここ200,300年変わっていない
ようで、それらの時代を例にだして自分の経験と同じにする。

こういった場で、もし自分が
”日本の女性は着物を着るし、女性が男性を立てるし、
家族の絆は強くて、祖父母を尊重し、母親は料理をいつもつくってくれて
父親はよく残業もしてなかなか家に帰ってこなくて、
受験戦争というのが激しくて・・・”
と言うと彼らは納得するのかもしれない。
これが日本のイメージだし、これを実際に聞くと安心するようなのだ。

でもそこでもし自分が
”家族の理想を持って暮らしている人もいるが実際はかなり壊れていて
引きこもりの問題もあれば自殺も離婚の率も上がっているし
不倫も多いし、最近こんなに変わった、っていうだけでなく
昔から年々変化はあって、芸者や着物なんて基本的に
見ることないし、寿司なんて高いし滅多に食えないし
基本的に家族が何をやってるか知らないし、ブツブツブツ・・・”
なんてことを言ったらあっというまに彼らの日本のイメージが
崩れ、驚き、日本ってこうなんだってーっていい話のネタになるだろう。

海外にいると実はこの繰り返しなのだ。
いつでも聞かれるし、その答えも相手によって変えないと後で面倒になる。
ただ、近所のおばさんや友人という相手だと表面的なことやほんとに日頃感じることを
言っていけるが、大学の環境の中で、それなりのプロがいて
話し合っている、となるといい加減なこともいいたくないし
ステレオタイプになることもいいたくない。

しかしまわりがあくまでもつまらない、想像のできる
200,300年の話をしているとまわりに合わせて話せばいいのか、とう
気にもなる。まあ結局どうしたか、というと、私は日本を代表して
話すつもりもなければ個人的にとってもクリティカルな視点が多いので
そういった人の意見、としてみて下さい、と注意を託し、
自分が最近気になる問題を話した
(日本男性のアニメ・ヲタの面白い状況と彼らのあるコミュニケーションの仕方)。
アニメーション文化というのは世界的に日本は知られているので
やつらも興味をしめすし、最近町であった国際映画祭でも日本のアニメヲタについての
ドキュメンタリーがあったのでそれを例にしてみた。
だって面白い話をどーせだったらしたいし。もう着物、寿司、芸者はごめんだ。

結局それでもまわりが話した内容と自分の内容とのギャップはでるわけで。
まわりはとってもつまらない、ありがちな表面的見解のまとめ。
だから小学生も話すような内容。
”つ、つまんね~。あんたら100年後も千年後も同じテーマで同じ話するんだろお”
と心の中の悪魔が突っ込んでいました。

これでさらに確信。
専門知識の訓練というのはどんなに権威的な環境での訓練でも
社会性と繋がるわけでは全くない。
逆に、専門知識の訓練をもった人に限って、その知識へ向ける時間とエネルギーの
規模が莫大だったりするから社会や一般生活に向けるものへの時間とエネルギー
への比が少なくなり、ギャップがスゴイし価値を置く事もなくなっていくのかもしれない。

だから余計に人より社会性に欠けることもあると思えるかもしれない。
自分も含むかもしれないが日頃からこういった状態にも
ブログに示したりして敏感になっていたいとまた思ったのだった。
(*ちなみに自分の話を聞いてヨーロッパ陣は爆笑してくれました。
でも人によっては自分の話をつまらない、とか、ほんとかよ、と思うと思いますから人のことは言えないのかもしれません)
by flowfree | 2005-10-29 14:19 | 文化の違い