アクティビスト、フェミニスト、クィアとして活動するとある外国大学関係者の生活の中からの視点。(C)flowfree 初めて寄られる方は、カテゴリ:管理人、の”こんにちは”を読んで下さい


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<   2005年 07月 ( 28 )   > この月の画像一覧

ある人権家の裏


現在は祭の季節。たくさんイベントがありネタの宝庫。
ここでちょっと思い出した有名人権家の裏をシェア。

アクティビストと言っても色々。様々。
政治家にも種類があり、"犯罪者”にも種類があり、
政治家の中にも”犯罪者”もいて、教授にも種類がいて
フェミニストにも、クイアにも種類があり限りない。
ナニナニだったらこうあるべき、という観念はあるが
その理想も現実ではすべて叶えられることもないし
人間とみると失敗もするしそれを重ねて物事は進む。

だけどやっぱり”こうだ!”と偉そうに
名前を使って権威を振るかざす人物は許せないとこがある。
それがどんなに偉い人でも、そしてどんなにつまらないことでも。
権威を振りかざして人を利用する。
これはやっぱりどんどん事例をだして行かないと
理想論だけ言っている場がある中、物事の向上に繋がらない。
もちろん、全てこの種類の人がこうだ、という誤解がないよう
表現に気をつけて、自分が見たものを。
(まあそのための長い序章なんです、いつも)
まあブログではナニナニと指して、こうだ!とは一概には言えない
と散々言っているつもりで
そんで良いところもなるべくご紹介して
悪いところにフォーカスしているつもり。

権威の振りかざしにもたくさんのレベルがある。
ここではとってもレベルの低い(^^;)お話。
話のレベルが低いというより本人が権威を振った状況が
人間性を疑われるとっても情けないお話。

その世界では有名な日系の人権家。
60,70年代に日本を出て、反戦や歴史改ざん
反対の活動に時間もエネルギーもお金も、
ある意味人生を掛けてきたお方。
正直大尊敬を払う。
物事の重要さを見て集まりには一人でとことこ
参加するオッサン。いつもニコニコ、そして
周りが引いてもゆっくりと自分の言わないといけないことは
発言して帰る。これも偉い!と思えたりする。
先日も千人くらいいるある人のスピーチ会場の
応答でトコトコとマイクに並びちらっとご発言。
なかなかできることではない。
そして彼のカゾクにクイアもいてとっても協力的。

これは認めるべきだし書くべきこと。
そして下らないこのオッサンの裏とは。
それは明らかに自分より"下”の社会的ステイタス
を持つ人物や何かをする時に自分に都合が悪くなりそうな相手
以外にはセコイ圧力や人権無視の言動をコソコソ行っているところ。

ある学生さんが少数派の人種のグループでボランティアをしていた。
隣のテーブルでオッサンもボランティア。
学生さんは話もつきたし、暇になったので猛暑の中列をなしているが
おいしそうな近くの食べ物やでなんか買って来ることにした。
一緒にいる学生ボランティアそして隣のオッサンにも
並んで来ますけど何か買ってきましょうか、とオファー。
友人:あ、ほんとにいいの?じゃ、お願い。
オッサン: いいですねえ。それでは・・・

。。。後。。。

はい、どーぞ。
友人:ありがとねー。結構時間かかったよねえ。
当人: 大丈夫、おいしそうだったしおなかすいたよね。
オッサン: あ、どうもすいません。
友人: いくらだっけ?はい。(渡す)
オッサン: ・・・ ダンマリ ・・・
当人と友人: (顔を見合わせ、えっ?)
3人: ・・・ ダンマリ・・・

オッサン、食べ物に蓋をして、”これ妻が好きでねえ、喜びますよ”
そして3人また黙り続ける。

手をつけないでこのまま持って帰りそうな雰囲気。
でもオッサンは何十歳も上の偉い人。
金払えよ、オッサン!とも、あの、すいません、お金・・・
などとも言いたいがどういったらいいかわからない。

どうしようか考えていたらオッサン
”ちょっと家に戻らないといけないので・・・”
ト、トンヅラ!!!

友人と当人: なんだ~コレ?
どうしたらいいのかねえ。
友人:・・・オジイチャンだから許してやるう?
当人: この学生にお金払わせてトンヅラして人権家、っあり得るの?

考えられないのが彼のそういった面を聞いたことがない。
有名人なだけに何かあったら聞きそうなもの。
筆者もびっくり。

約一時間後。当人は道でその食べ物抱えているオッサンとバッタリ。
オッサン: あ、さっきはありがとうございました。妻も喜ぶので持って帰るんですよ。
当人: ハッ?
オッサン: (スタコラサッサ・・・)
とマンガのように足をぐるぐる回しながら去って行った。

それをオッサンと働いたこともあるある大学職員に
話してみた。こういった態度見たことある?と。
その人、聞いたこともないし、されたこともないし、
ほんとに驚くわね~!と目を見開いてビックリ。
これ、嘘でもなんでもないですよ。
あそう?これからちょっと良く観察してみるわー。
とその友人職員。

そしてまたこのオッサンのネタは続いた。
それも学生相手の時だけ。
職員に重ねて説明、そして職員も間接的に関わった事例
があり、やっぱり驚く。そしてどうやら、発覚。
オッサン、正直、相手を見て態度変えてるようだ。

これはただの”ケチオッサン”と済まされない。
人権家と言えどケチもいれば太っ腹もいる。
しかし学生が目の前でお金を返しているのに自分だけトンヅラとは?

社会のボランティア世界でこういった態度では人は育たないしオッサンの言動に
信憑性が無くなる。それに下の人間と見て
他人が見ている前で堂々とRip off (モノを盗るなどの意)
学生ボランティアとして馬鹿にしているようにも見える。

冗談じゃない。ナメンナヨー、オッサン!
ジイチャンだかクイア支持者だか人権家だか
なんだか知らないが相手を見て弱者を利用するとは何事かい。
これからはドンドン遠慮なしにオッサンの前でも
立ち向かって指摘して行きたい
(でも彼の活動の場をせばませたり意欲をなくさせたくないので個人レベルで)。

これはまだ笑えたレベルの低いネタ。
今度はちょっとオッサンが頭を使ってひねっただろうが
大失敗の人材・ボランティア利用について。

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by flowfree | 2005-07-31 05:08 | 権力社会というもの

ザ・悪役

物事の向上のために悪役を演じました。
こう書くとちょっとかっこいい。
だけど実際やると疲れるし心配だし
思うとこあるけれども今回の悪役ショーは
うまく行ったようなので気持ちがいい。

大学で家族制度について学ぶ。
かなり自分のカゾクを客観的に見られるようになる。
今まで持っていた感情が覆される。
年月が経ち、バーチャルな関係になればなるほど
感情は薄れ、理想も妄想も薄れ、
学んだ知識や試した経験は残り
不思議な形に見える。

良い意味でも悪い意味でもガイコク人は
エイリアンだ。実際本当にガイコク人のことを英語でalienと書くのだが
(パスポートの話などで)
だんだん母国にとってもエイリアンになっていく。
そしてだからこそエイリアンが大活躍するときがある。
それが今の状況だった。

”訳のわからないことをガイコクで長くやっているエイリアン”
は良いことをしたら良かった、ですむし、悪いことをしたら
エイリアンだからしょうがない、期待ができない、となることが多い。

バーチャル親友(幼馴染だがバーチャルな関係も長い)から
も”悪役買ってでなよ”という助言。
よっしゃ、しょうがない・・・と重い腰をあげる。

・・・省略・・・

途中、何度も中断なったりしたが
最後はうまくいったようだ。
エイリアンだからできるという力量を発揮した(?)
ちょっと可愛そうだったけど誰かがやらないと
いつまでたってもこのままで結局当人が一番苦しむ。
強くなってもらわないと困る。
一緒にやって行こうと話した。

自分の将来も合わせて考えると
やっぱり真剣にならざるを得ない。
でもまだステップ・ワン。これからいくつかもあるので
エイリアンの力まだまだ発揮してやる~!

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by flowfree | 2005-07-30 20:22 | 家族制度

表現の自由を尊重したい

文化によっては良いことも悪いことも言ってはイケナイ、ところがあるそうだ。
宗教によっては、ともいえる。
悪いことを話すことで差が生まれるし、良いことを話すことにも差が生まれる。
筆者は両方とも良く話す。
でも構造批判的な視点で先につなげるよう何年も訓練されてきた。
でも時々悪いことばかり言ってるよなあ、と感じる。
特にこのブログをやってると、目的に社会・文化疑問や批判を
持ってきたのでじっさい”それしか”書かない。

こんなことを良く思う。
人の脳というのは悪いことばかり考えているとその比率が脳の中で
覚えられていき、選択されていき、悪い思考が生まれやすいのではないか。
例えば、家でワイドショーを見てばかりいて、ヨンさまばかりを
好んで、選んで見ていたらヨンさま脳になってしまう。
人と話すときもその覚えた脳から話すもんだからヨンさまが結構残る。

いや、”電車で化粧をする脳”とかそういったことをいうつもりではなくて。
ヨンさま現象批判をしているつもりではなくて。
脳に同じ事を覚えさせ続けるとそればかり脳も好んで選んで覚えて行ってしまうのではないか、と。
だから悪いことばかり言ってたらそっちに脳が傾いていっているような。
ネガティブな思考を好んで癖になっていくような。

それで以前も書いた北米カウンセリングの話で北米の特定の人達は良いことばかり
好んで、選択して、悪いことは削除して話すようにする、と言って、
ドロドロした部分は削除される、とコメントで助言して下さった方たちもいた。
それでさらに思った。

表現の自由というのはと~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
てもダ・イ・ジ・!

よい事ばかり、悪いことばかり、そして両方だめ、などというのは
文化的には尊重する。でも自由にどれでも選べるとはなんと素晴らしいことか!
時がときであれば、場所が場所であれば、政治が政治であれば好きなことを言えない。
北米のカウンセリング族にネガティブな話をして白い目で見られても、
ネガティブな話をして嫌な気分になっても、ある程度は自分は好きに選んで表現
していきたい。表現の仕方はどうでもいい。公けでも、プライベートでも、友人同士でも、
ネット上でも。それさえ許されない人達がいる。

韓国の友人がいる。韓国ではインターネット事業がかなり発達していて、
知識の広がりもスゴイ。
自分のブログを持っている友人に”なんていう名前でのってるの?”
と聞いたら”ハっ?”と言われた。
”韓国では実名を表明しないでサイト持つことはできないんだよ”
”うそーん。登録する時にだけ実名、とかでしょ”
”違う違う。自分の名前と名前がわかる一人一人に当てられたID番号が
サイトに載ることになってるんだよ”
”ほんとーに?”
”ほんとに!”
これを教えてくれた友人は10歳くらい年上の女性で凄く真面目で
息子の外国での教育のためにこちらに来ている人。
うそついているようには見えなかった。
検証していなので実際はどれほどのコントロールをされているのか
わからないけど。
彼女は筆者のブログの内容を聞いてまた驚いていた。
”え?実名わからなくていいの?それで告発的なことも書いていいの?
それ韓国では考えられない。前より断然マシな政府だけどそれでも
まだ何を書いていいか、書いてはいけないかはコントロール化されてるよ”

まあ、こっちでも選択があるようでないような表現、コントロールされていないようで
されている表現というのはある。それでとっても迷惑な影響を受けることも。
だけど選択視がある、というのを筆者は評価したい。
良いことを書いてもいいし、悪いことを書いてもいいし、
全部言いたいことを言ってもいいし、表現を抑えたければ抑えればいい。
そういった自由さというのを評価したい。
思い出した。もともと自分のペンネームもそういった視点から来ていた。
好きなように自由に気持ちの流れるままに。
それが可能な場所がやっぱり心地良い。

もちろん、社会のルールには影響されるから
良いことばっかり言ったほうがいい気持ちになるときもあるし、
ネガティブなことを言って/書いて嫌な気分が残ることもある。
そんな価値をカウンセリング族の前で壊したくなることもある。
まあ色々な経験をすればするほど試行錯誤が必要になる。
でもそんなところに人間味が出るとも思う。
まあまだまだ人間性を磨いている修行中だけれでも
物事は変化していくし、動かしたくなるし、
ただ選択ができるという現状にとりあえず感謝。

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by flowfree | 2005-07-30 18:58 | 文化の違い
実践の話を書いていて思い出してしまった。
以前書いたことがあるが自分には去年急に車椅子生活になってしまった
カゾクがいる。Mだ。まあ自分なんか母国を出たのは未成年の時で以来正直
カゾクと住んでいない。たまの休みに帰れば不思議だなあ、と思うことばかりで
自分では家族制度現象と取ってしまいことが多々ある。そんななか、この
思いがけないカゾク事件と自分の実践精神はとても不思議に絡まった。

まあカゾクを離れてから筆者は実践を大事にする(行動を大事にする)”研究者”(時々)
に至った。その期間は短くはない。
そしてある意味”社会の弱者”と自分も見られる文化に長く暮らしてきて、
行動してきた経験から、
”誰かの生活状況が急に変化するときにおこなったらとっても便利なこと、”
という術をある程度体で覚えてしまっている。
そしてそれに他人が協力できることはなにか、ということにも。

だから急にカゾクが病気になり車椅子、となれば
持ってる術を全力で出してみた。
”アレとコレをこうしてこうした?そんでアッチはどう?ソッチは?
~と~と(限りなくある)は調べたからコレをやると~で・・”
そういう事がやりたくなるし、やらなかったら正直命を落とす状態だったし、
時間がある限りやり続けた。しかしこんな状態にパニクるカゾク。
既に大病するカゾクを持つ経験は初めてでたくさんやることがある。
いくつかの病院に連絡、ソーシャル・ワーカーさんとの連絡。
リハビリ科の調査。保険。交通の便。Mの友人への連絡。
知り合いの医者との相談。漢方薬の可能性。政府ができること。
家のリフォーム。仕事場との調節と将来の可能性。
数限りなくてカゾクはどこからやったらいいかわからない。
自分はダダダーと動いて教える。が、そのやり方も
メールはダメらしいのでファックスで送る。でもそんなのも読まずに
忘れられる。それでできることができずに先延ばしで間に合わない、事が多い。

そこで段々と”じゃあ最低でもコレとアレね”と言っても確認したら
やっぱりやっていない。カゾクの色々な人物の性格を検証(?)
しそのダイナミズムを配慮した上でさらに動く。
障害者手帳のこと、携帯料金が半額になる会社がある、医者や病院の選び方、
なんでもかんでも自分がガイコクで調べて、本をオーダーし、届けさせ、
くろねこヤマトやバイク便の方などにも国際電話し、緊急時にはベストな
道順を相談したりとまあ色々とこっちの夜中にがんばったり。
電話を切って”まさかこれが国際電話だとは思ってないんだろうなあ・・・”と
バイク便の方たちに思いを寄せたり。(そんなこと言っても相手が焦るだけだったりするし)

そしてなんの反応もない。届かなかったわけではない。コメントナシ、っていうやつ。

こういった実践活動をしているとこれは日常茶飯事で感謝されたいからやっている
訳ではない。やっぱりやりたいからやっている、という気持ちが先にある。
感謝されたらもちろんうれしいけどそういった気持ちに行かない、行きつけられない状況
にいる人もいる。特にこの場合急に起きたことだったし被害になった
当人のMが一番大変。

でもそんな状況を外国で自分が見てきて違いを再確認。
日頃あまりそういった状況を考えたことがない方たちはその物事が
どんなに大事とわかっても言われても頭に入ってこない。
実際手元に結果があっても良かった、という事実だけが残り
どうしてよかったか、というのはなかなか考えられないようだ。

またあと一つはカゾクは未成年の時の自分と変わらない、と思っていたい部分があるようで。
というかまるでその頃の自分の性格に関連できることを探しているよう。
だから良くも悪くも昔の行動と現在の行動を繋げて”きまぐれなあのコのやること”
と思っているのかもしれない。

まあ、それでもいいか。結局あっちの状況向上に関わることが一番重要なんだから。

一応当人のMやカゾクで感謝の言葉もあった。そして一時は自分も
帰国して色々とやった。やっぱり思い出すのがガイコクで得た実践の仕事。
一人がこうだ、と思っても進まないのである。これは実践のイチ、セオリーだ。
自分もやったほうが良いことを主張や要求するのを避ける。
普段一緒に生活や活動、ましてや話もほとんどしていない、
ただカゾクという枠組みだけでたまに関わっている人間関係。
選択視を探っても、カゾクのやり方を尊重するために
相手がどう思うかというのを大事にしたほうがいいような。

まだまだ色々と問題は出ている。自分だったら時間の割り当て方や、
物事の処理の順番なども教えられる。だけど当人がそれを受け入れられる
準備がなけりゃあなにも始まらないし、相手の理解していくプロセスや
選択視も尊重したい。
まあ、きっかけにはなる可能性は捨てない。

やっぱり自分が調べなかったら進んでいなかった事も多々あった。医者とメールで
交流などもあった。それでやって良かったと思うしこれからもやっていく。

こんな所にも背景の違いがでる。だけど自己満足といえでもやっていないより
やっていて良かったと自分では感じている。 
嗚呼、このことの繰り返し・・・

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by flowfree | 2005-07-29 05:47 | アクティビズム
そんなこんなでこの仕事を任せられるようになった。
以前に2度ほど書いたのだがこれはプロジェクトで
政府に”研究資料”として使われている
”路上生活、HIV感染、監獄入りを繰り返す、そして注射を使った
薬を使う”というものに当てはまる人達
(一人一つ当てはまればいいのではなく、
一人にすべてが当てはまらないといけない。)
が政府に操られてだけでなく、彼ら本人が
何かできるのではないか、という試み。
協力者の彼らも政府から良い対応をされたりされなかったりでインタビューされ、お金をもらえても
いい加減な答えを与えている人もいるし、”政府用に与える答え”を
用意している人もいる。そして政府からの状況向上も見られない。
彼ら同士で何か状況向上に貢献できることがあるのではないか、ということ。

こちらもプロの人材を用意。スタッフとしているのが
*HIV・AIDS感染関連の組織で働いていた教授。
*本人もHIVに感染しているという政府で雇われた教授の仕事もしている教育関係の人。
*社会にはずされている人達を専門に働いていて他州の
教育機関に所属している人。
*監獄に収容されている男性のHIV感染されている人達を中心に話にいって
状況向上をはかる当人もHIV感染している社会福祉関連の人。
*そしてまあ色々とやっていた自分。

スタッフの中でクイアは一人以外全員。だけどそんな話はわざわざしなくて
自然に出た会話でわかってくる。でもやっぱりというか
アジア人は自分だけ。一人はラテン系。あとは白人。

l協力者の中に女性は二人。彼らも監獄には数え切れないほど行っているとしても
政府にいい加減な理由を付けられて行っているだけだったりして
重刑で行く方ではない。彼らと接する事で色々と学べることも多い。

でも一緒に働くスタッフから学ぶことも限りない。
彼らの一言一言が経験上の試行錯誤から得たものと
思うと軽く取れないしアイデアを交換するにも
自然と表現の仕方にマナーがあるのが伺える。

似たような視点を持っているぶん、違いが極めて目立つ。
一人のスタッフがある意味任され時間を使ってリードする立場なのだが
この当人は訓練されていない部分までもやろうとする。
多分がんばりを見せたいのだろうけども
こういった機会は滅多にない経験となっている協力者に申し訳ないし、
どうせやるなら訓練されている教授がやればいいのだが
彼らに任せたくない、という心情があるようだ。
お互いの経験を尊重したいし、意見も違うとしても
明らかにもっと簡明にできるやり方というのがある。
だけど進めない。とても難しい。

ここでもやはり思えるのが実践をしていても違いがなくなるわけはなく
お互い尊重をする部分が多いほど物事が進まないという事。
日本人論みたいな話で未だに”遠慮”という言葉は日本人特有で・・・
とどこで実証してきたんかい、という事を言っている心理学者、
社会学者、政治家、などいるのだが遠慮という観念は
実は色々なところにあって、使われる状況が文化的に異なるだけ、と
自分は思っている。明らかに自分と違う見解を特に相手を尊重したい
時に表現する事を遠慮するのは欧米にだってある。
(”これどうぞ””いえ、いいですよ””いいえ、どうぞどうぞ” ”ほんとに?”なんていう
ベタな遠慮だってしょっちゅうです)

実はこの活動、一時はお金が発生したが途中で政府の変化などあり
予算削減で自分に出なくなったりした。
だけどやっぱり彼らも(スタッフも協力者も)仕事以外の(お金の発生しない)時間にもエネルギーを掛けて真剣に社会の弱者のことを考えていた人たちだからこそ起こる、だからさらに時間を掛けて考えたいし考える価値もある、と思える活動なので喜んで
参加を続けた。試行錯誤が必要なプロジェクトは時間もエネルギーも予算も
かかったりするが新しいアプローチで、当人自身が何かをやる、ということに
とても政治性を感じる。学べる事が限りない。

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by flowfree | 2005-07-29 05:15 | アクティビズム
b0058997_17382683.jpgここで書くことは自分が経験したり、活動したり、その関係から得た人脈を通して話している事。
ときには経験上からの重みを入れて書くけれども重くなり過ぎると思って軽めに書くことも。
まあみんなそうだけどそれなりに状況によって自分の背景を書かないこともある。
文脈に出ないこともあるかもしれないけど変わらない信念のようなものもある。
それは自分は実践の活動を一番大切にしてること。
意見のでる背景や物事の学び方というのは色々だけど
自分は知識に実践があって言える言葉を大切にしている。
自分が見てきて、触って、交流して出た言葉を先に繋げたい。
実践のない言葉というのもある。それも必要で大事だと思うし尊重する。
ただ違う種類の物と考えている。
もちろん自分の実践のない言葉も実践のある人のものとは別物と考えて。
実践のない言葉にもそれなりの意見が見えるし面白い事も多い。
実践のある言葉には別の重みを感じる。
やはり周りの偉い教授だかなんだか言う名前の方は
実践をして話すべきな方が多い。
そういう教授達と教授でなくても実践をしていない人との違いは多少の知識。
筆者の中ではあまり変わらないと見ている(実践が必要、と思うエリアの中では)。
教授でなくても実践をして自分の時間をわざわざ作って
自分の目で、耳で感じて、確認して、さらに知識を得ようと
している人に自分は多大な尊敬を払う。
それが自分と異なる見解でも、同じ見解を持った何もしていない人よりも
尊重を払いたい。
(まあどーせするならあっちでしてくれれば・・というのはあるけどお互い様ですね)
実践を行うのがどれだけ大変なことかわかるからやっているだけ尊敬できる部分がある。
自分もお金の発生しない活動を長年やって、そしてお金も発生する事柄に
繋げられたりしてきた。
そういった活動や態度をこれからも仕事と平行して目指して行きたいし生きたい。
人それぞれの生き方があるなか、自分も何年もの間色々な
グループと密着して働いて試行錯誤の上、これを選んだ。
それへ掛かった時間、エネルギー、気持ち
は測れるものではないし、そこから身になったことも測れない。
そういった経験の上で出会えた人達はやっぱり特別な人だ。

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by flowfree | 2005-07-29 04:58 | アクティビズム
このニュースはタイトルで笑わせてもらった。
<明大教員>「仏語は国際語失格」石原知事に学習セット贈呈
北米では考えられないくらいの”恐らく細心を図るのを怠っているような発言”を国や人や歴史の見解に対して良くする都知事。
フランス語の数を数えるある特徴をさして、
”フランス語は数が勘定できず国際語として失格”
と最近発言し教師などから起訴をおこされているお方。

北米では話す内容を必ずプロがすべて確認して話させるし、公けで話す際の表現の訓練がされているはず。というか、されていないはずがない!と断言しますわ。
B大統領も大統領になってから言葉の表現の訓練をかなり受けているはずなのだが、
現場での応答などの時に正体バレバレ(笑)だから前回の大統領候補選の議論合戦の時はまわりがマズイ!と判断してワイヤレスで関係者が言う言葉を耳に入れた小型イヤフォンで流し、ブッシュはそのまま言う、とい珍事件、というかアホアホ事件がTimeマガジンなどでばらされて写真入りでてたっけ。(ブッシュ大統領の珍発言、というのがgoogleでたくさんでます。どんなにお金を掛けて教育・訓練しても結果を考えるとねえ・・・)

b0058997_15454062.jpg海外にいると都知事の女性に対して、人種に対して、外国語に対してなどの発言を聞いてショックに似たものを感じる。外国ではアホな大統領でも人種に対して、戦争に対してなどの言葉を置き換えて”正義”のために、なんて言っているのに。それだけ政治家や役人は言葉の表現に注意を払わなくてはいけないのに。(写真は好感持てる積極的発言をするCNNのキャスター。素敵な皮ジャケット!)

それで実は日本でも、政治家だけではなく、偉いさんが発言するときのために
言葉の使い方の教育/訓練したほうが良い、と思っている人って多いと思う。
特に偉いさんの側近などは良く海外エリート大を卒業している方多いですからねえ。帰国子女の雅子さんじゃないけど外務省から留学や、なんちゃら省からのお偉いさん予備軍で2年ほどで帰る人はそこまで理解してないだろうけど帰国子の場合は特に理解してる。
そういった方が通訳として国の偉いさんについてることも多いし。

想像できるのは
”言葉の表現の訓練や教育が必要、と言えない揺るがない力関係”
があってだ~れもいえないのではないでしょうか。そんなこと言えない空気や雰囲気が
甚だしくありそう。”自分も知らないことはまだまだあるし、何か気づいたことあったら
気軽に教えてね、きっと僕には言いにくいとは思うんだけど”
なんていう気遣い、初心の配慮、思いやり、その他多くのあるべきこと、が
欠けてませんかい・・・ というかそういうことってあり得ないの、タカ派政治は。
石井房江と働いていた管直人だったらありえるかな。

それでそんな発言をした都知事が起訴されても今まで大したことに及ばなかった。
ババア発言も請求棄却判決(2005.02.24 20:13 asahi.com 「石原知事ババア発言、「憲法理念と相入れず」 東京地裁」) 
これがアメリカだったらやっぱり和解にしろ、何かしらの責任は発生するでしょう。

でもこのニュースで印象に残るのはフランス語を操る教授たちの返し。
侮辱されたことに対して(国際語失格、と言われた言葉で長年研究しして、
飯食ってる人達は教授失格?とも問われ得る)侮辱返しではなくフランス語学習セットを
贈るというユーモアで返す。

なんか欧米のジョークっぽくないですか?
それとも日本でも日々あることなのでしょうか。
とっても良いアプローチと思いました。
特に起訴もどうなることやら・・・で何の責任、対処も起こらないならなおさら。
揺るがない権威主義を認識した上での何ができる、ってことなのでしょうか。

以下リンク切れた時のためにもとのニュースです。

more
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by flowfree | 2005-07-26 15:47 | 文化の違い
b0058997_440312.jpg昼間は左のキレイな済んだ湖のある公園で昨夜は年に一度の夜のお祭があった。
老若男女が手作りのひかりもの(ランプだったり、電球の変わりに蝋燭入れたり)
を持って真っ暗の池のまわりの公園をうろうろと歩く。
その公園の中ではパフォーマンスを行っていて
数メートル先づつ色々な光物展示とか、芸術だったり、
バンドだったり、火を操ったパフォーマンスがあったり、
フリーク・ショーを真似たことをしたり、人生相談なんだか占いだか、みたいなのなど。b0058997_4373750.jpg

まあ真っ暗だし、神秘的な表現活動が多い。
それでおしゃべり大好きな友人と会話。

まあメディアの世界で働いているアジアの国々で
育って働いてきた彼女の愚痴。
日本もそうだけどプロとはこうするべき、こう動くべき、
などという”常識”があるけど文化が違えば常識も違うもの。
こちらでは通じない。
それで気の強い友人は自分の常識を相手に要求したくなるけど
我慢したり、しなかったりでストレス溜りがち。

もし彼女が大金持ちの有名人だったらまわりは
努力してくれるかもしれない。
対等の関係だったらお互いきっと色々あるだろうから
好きにして、とか、私は好きにしているからあなたも好きにすれば、という
暗黙の了解もある。
でも日本で仕事をしてきた人や生活をしてきた人は
やるせない気持ちがなかなか消えない。
”こうあるべき、ああなってるべきでしょ”といつもいつも驚いて怒っている。
まあどこにいってもこれは起こることで。

まあそんな疲れる話よりもちょっと刺激的と思った話を書こう。
彼女はレズビアンなのだが映像で性欲刺激されるものとしては
男性の同性愛者のビデオが含まれるそう。
男同士のHを見ると興奮するらしい。
”自分がトップ(男役の責める方)だったら
ゲイのボトム(受身)とHしてもいいかな、って思う”
とのご発言。

へ~、そうなんだあ。こんな近くにもいたのね。
こういう自分の性自認と性欲の対象が矛盾する人は結構多い。
レズビアンで女性と恋愛しかしないけど、性欲の対象は
もっと広がり、相手は受身だったらゲイメンでもいい、っていう
(でも異性愛者はダメなんだと)。
だから性の傾向って一概には言えない。
どれを見てレズビアンだか異性愛者か、というのも本人次第
になるからね、結局。
でも彼女はとくにチャーミングで
無邪気な女の子、って感じなのに男性性の自認が強い。
どんなに本人が男性性を感じててもまわりが
そうみるとは限らない。やっぱり服装や話し方などの
全体想で彼女のことをどうしても男性性が強い人にみれないんだよね。
だからそんな子がゲイを食ってしまいたいっていうのが
ちょっと不思議だけど彼女の感情を考えれば不思議じゃないんだわ。

でも異性愛者の男性には偏見があるみたいで。
なんでゲイの受身は良くて異性愛者の受身はダメ?
って言ったらだんだん理解して
”そうだね、ゲイの受身でも良いやつばかりじゃないしね”
と認めていた。

b0058997_4382586.jpgこういう話はクイアの中で話すと面白い。だけどやっぱり
プライベートなことなので二人だけ、とかこの夜のように
真っ暗な不思議な環境だから話せたのかも。
まあ、真っ暗だし、質もまったく日本とは比べ物にならない携帯で
写真取ってたらその友人、”去年写真取ったら変なのたくさん写っちゃってさー”
と言い出した。へっ?ほんとに?とビビリだし、
結局コレくらいしか後は取らなかった。ちなみに写真の明かりは
すべて人が持ってきた明かりで(変なのじゃなくて)す。

そんで自分のずっと持ってたはずのお財布が見つからないのは
この神秘的夜にやられてしまったのか、それとも自分が抜けてただけか・・・

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by flowfree | 2005-07-25 17:12 | queer
 <D・リンチ監督がカルト教団立ち上げ?>のニュースは凄い。なんと瞑想教育による世界平和維進のために
7兆7千億円を集めるそう。本人が言うには:

「8000人が瞑想し、良い波動を送り出せば、地球に平和が訪れる」
「人は(わたしの計画を)笑うが、米政府が人間の殺傷に使う爆弾を巨額の資金を使って開発しているのを笑いは笑しない。それこそ悪い冗談だ」

この後ろの文には納得。ごもっとも。何兆円とアメリカや日本が資金援助に使っても
人は驚かない。意外にリンチ監督の行動の方が望みがあるのかもしれない。

色んな宗教があって、戦争もあるときは免(まぬが)れないと考えている信者も多くいる。
そんなことが起こらずに平和だけをサポートしていける精神を持つよう
コントロールするにはやっぱり宗教になってしまうんだろうか。

しかし良い波動を送るとそれはどこに行くんだろう。人に戻ってきて、平和になるような
精神にいきつける役割をするのだろうか。

とっても不思議。だけど試してみる価値はあるかも。
トム・クルーズのサ教よりかは何百倍も効果ありそうに見える。

誰がリンチ監督に援助するのかがまた興味深い。そして
どうやってその計画を実行するのかも。

2週間前にカナダで結婚をしたアメリカで最も保守的と言われる州出身の
ゲイの友人がいるんだが
彼の親が名門私立高校を運営していたのを思い出した。
どうやった主旨でやっているのか、興味がでてきた。

そんな彼は一度上のサ教の無料診断テストを受けていたっけなあ・・・

リンク切れがないように以下に元のニュース貼ります。


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by flowfree | 2005-07-22 15:51 | 信じる人達

友人、親友、恋愛などの意味合い、定義は人それぞれ。
毎日会っていて楽しい時間をすごしているから友達。
毎日会っていて楽しい時間をすごしていて気持ちを動かされるから恋人。
毎日会ってなくても、何年も会ってなくても楽しい時間を
過ごしているから友達。気持ちを動かされるから恋人。
そういう人もいる。
性関係があろうがなかろうが、個人の中での意識でそれらの区別がされている。

自分の生まれて育った町や国を長いこと離れたらそれらの定義も
変化させざるを得ない。そしてもし仕事柄や生き方で一つの場所に
定住することがない人にとっても。心の通じる友人を見つけた、と
思った時に移住。時間を共有したという事実は残っても
大切だった気持ちは段々薄れていく。
実際記憶というのは頼りにならないもので数年たつと忘れていく。
そして思いだした時にはもう遅い。

地元で家族のことなども理解している”親友”と呼んでいた友人。
知り合ってン十年付き合いが続いている特別な友達。
友達を通してわかるのは”経験”というものが人を変えること。良くも悪くも。
自分もそうだろうし、友達も。
楽しい、という意味や価値も。傷つくという意味や傷つけるという意味も変化。
そんなに変わっていっても友情は大切と思う。
滅多に会えないし連絡もとらなくても。
ある意味これがバーチャルな、時空を超えた友情ともいえるような気が。
擬似友情とも見れる。

そんな友人らは好きな相手と毎日遊び、飲み、
恋人だけど性関係はなぜかない、という恋愛。
結局は想像や妄想で自分を慰め、納得させ、励まして
続けてきた擬似恋愛。
そして終わりのない”相手との状況と精神”の分析。
”あの時は~がこう言って、こうやったから、oooがこう思っちゃって、
そんでああ言ったからこう反応して、自分はこうしたら次の日電話がきて
自分がこう言っらこんなメールが来て。。。”
ああ、やばい。キリキリと音が聞こえる。。。

当人に何も聞けない、聞きたくない、傷つけたくない、
傷つきたくない、という結局向き合えない、尊重のない交流。
だから状況から分析するしかない相手の気持ち。
そして相手も気持ちを知られたくないため気持ちを偽る。
いい年した二人がやることらしい。まあ年は関係なくなるというのは明らか。
これからは向き合わないといけない、という。
それをやってからいってくれ。
やるつもりで相手に”アドバイス”してもさ、信憑性ナシ。
悪いけど自分はもうこっちの価値で生きてきてしまっている。
悪いけどそういうのもう慣れてない。
理解はできるけど長い話を聞けば聞くほど頭のなかがキリキリいってる。
限界の警告。
もう憶測の分析はいいから。

だけど日本のジェンダー・コミュニケーションに
こういった話を聞いて、類似恋愛を恋愛のように話すことが
友人関係で多々ある。それが友人関係を築き、
信頼関係に持っていくのにとっても重要。
自分も日本で恋に恋しているときはそうだったかも。
地元に戻ればういった話をして、お酒を飲んだりしてぶっちゃけて、笑って
消化して次を目指す。
自分は色々と言ってみる。キツイことも言ってみた。
向こうも悩みに悩んで切羽つまったりして心配だ。
でもでもやっぱり何かが自分には納得がいかない。
この行為自体が友人関係のような、実は類似友情のような。
でも深く考えるのが学問にはまった人の悪いトコ。
考えることじゃないのかね。

幼馴染などとは情が移るので気にかかる。
だけど時空を超えた時点で感情を抜き取った部分が頭をよぎる。
でも気にかかるという意識までバーチャルにはしたくない。
文化を超えた友人関係って大切なほど考えさせられる

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by flowfree | 2005-07-21 17:23 | 友達