いやいや知らなかった。阪神タイガースの赤星選手は2003年から
自分の盗塁の数だけ車椅子を施設に寄付しているという。阪神タイガース公式サイトでその施設の募集をしっかりしている。これには感心させられた。
世間には仕事や活動で金や名声を得ているのにそれを時には
”アクティビズム/活動です”と称してしまう人が実は少ないない。
これは日本も北米もどこでもなぜか見られる現象ではないか。
”自分は夢を与える仕事をしているので”
”人を教育する仕事をしているので”
”マイノリティについての作品・研究なので(女性、同性愛者、障害者など)”
もちろん、金儲けだけが目的のこととは違う種類であろう。
だけども実際に一銭も特にならず、逆に払うことにもなりうる活動や
自分の自由な時間とエネルギーを掛けて活動している人達は
それらの活動を違った意味で評価されるべきであり、
その大きな違いは認識されるべきだ。
同様に”自分も仕事で日々アクティビズムをしてるから大変で”
なんてほざく方々は勘違い甚だしい。
自分の研究や仕事が他人のためにもなるかもしれない。
しかし同時に自分の利益にもなるしお金が発生している。
そんなことを”世間への貢献目的”に類似化、偽善化し
自分を他のアクティビズムと同等に見てもらおうというのは間違いだ。
この場合誰もが持っているエゴが関わっているというのを認識するのが必要だろう。
アクティビズムという意味にあてはまらないかどうか、というのは
筆者もわからない。ただ、違いを認め、他のタイプのアクティビストに
尊敬を払う意味を込めその違いを最低でも認識し、
もっと心あるべき人間は主張してもいいと思う。
個人同士で勘違いして話しているのはいいが
社会の中でそれを当たり前に話す学者やメディア業界の人間を
見るとその人間への評価がガクンと下がる。
そんな事を日々感じているなか、この赤星選手の話には
驚いた。野球には日頃あまり感心がなかったのだが
彼がヨン様ファンのおばさま達をも感心させている、と
雑誌で読んだ。そしてそういう赤星選手の行動を
見てファンが続々と増えているのだそうだ。
なかなか興味深い流れだ。どの程度の現象なのか全くわからないが
車椅子を使うカゾクがいる筆者にとってはかなり赤星選手の
行動が心に響いた。福祉活動といっても色々とあるが
(友人のバンドメンバー達は女性専用の監獄プリズンにいって演奏、など)
車椅子の寄付、というのに興味が出た。なぜこれを選んだんだろう。
現在車椅子業界も進んでいて、年の若いカゾクが使うものはカラフルで
かわいくて、車が動くとキラキラとラメのようなスパンコールのようなものが
光るのだ。実際車が光ったほうが移動するときに色々と助かる。
映画館に行く時だって、おしゃれなレストランに行く時だってこれが
助かる。でもこんな需要があるとは見るまで知らなかったから
自分の車椅子事情の無知さを感じさせられた訳である。
だからさらに赤星選手の福祉への興味や選択の経緯に好奇心がわくし、
これからの活動(もちろん活躍もだが、活躍しなくても個人の人間性に
興味があるのでそれは後)に目を見張りたい。
野球界で他にもこういった活動をされている人はいるんだろうか。
彼は今年で28歳らしい。この年代ではどうなんだろう。
もしかして野球文化の”常識”や歴史を考えると
赤星選手の身を削る行動はラディカルなのかもしれない。
(*ちなみに、日本や北米では
”ちょっと社会から外れた行動をした方達が法に罰せられる代わりに、”
”上の人間に反発し、追い出される代わりに”
大きな福祉活動をかなりの期間要求されることがある。ある演歌歌手は個人事務所の設立にあたって業界を干されない代わりにチャリティーコンサートを続けていた、というのは有名な話のようだ。暴力沙汰を起こしたある芸人は謹慎中にボランティア。北米では起こしてしまった事柄によって〜時間、と奉仕活動をするようになっていて良く耳にする。正直野球界の事は本当に勉強不足なのでまさかそんなことはないだろう、というのを前提に話して書いた記事です。)
自分の盗塁の数だけ車椅子を施設に寄付しているという。阪神タイガース公式サイトでその施設の募集をしっかりしている。これには感心させられた。
世間には仕事や活動で金や名声を得ているのにそれを時には
”アクティビズム/活動です”と称してしまう人が実は少ないない。
これは日本も北米もどこでもなぜか見られる現象ではないか。
”自分は夢を与える仕事をしているので”
”人を教育する仕事をしているので”
”マイノリティについての作品・研究なので(女性、同性愛者、障害者など)”
もちろん、金儲けだけが目的のこととは違う種類であろう。
だけども実際に一銭も特にならず、逆に払うことにもなりうる活動や
自分の自由な時間とエネルギーを掛けて活動している人達は
それらの活動を違った意味で評価されるべきであり、
その大きな違いは認識されるべきだ。
同様に”自分も仕事で日々アクティビズムをしてるから大変で”
なんてほざく方々は勘違い甚だしい。
自分の研究や仕事が他人のためにもなるかもしれない。
しかし同時に自分の利益にもなるしお金が発生している。
そんなことを”世間への貢献目的”に類似化、偽善化し
自分を他のアクティビズムと同等に見てもらおうというのは間違いだ。
この場合誰もが持っているエゴが関わっているというのを認識するのが必要だろう。
アクティビズムという意味にあてはまらないかどうか、というのは
筆者もわからない。ただ、違いを認め、他のタイプのアクティビストに
尊敬を払う意味を込めその違いを最低でも認識し、
もっと心あるべき人間は主張してもいいと思う。
個人同士で勘違いして話しているのはいいが
社会の中でそれを当たり前に話す学者やメディア業界の人間を
見るとその人間への評価がガクンと下がる。
そんな事を日々感じているなか、この赤星選手の話には
驚いた。野球には日頃あまり感心がなかったのだが
彼がヨン様ファンのおばさま達をも感心させている、と
雑誌で読んだ。そしてそういう赤星選手の行動を
見てファンが続々と増えているのだそうだ。
なかなか興味深い流れだ。どの程度の現象なのか全くわからないが
車椅子を使うカゾクがいる筆者にとってはかなり赤星選手の
行動が心に響いた。福祉活動といっても色々とあるが
(友人のバンドメンバー達は女性専用の監獄プリズンにいって演奏、など)
車椅子の寄付、というのに興味が出た。なぜこれを選んだんだろう。
現在車椅子業界も進んでいて、年の若いカゾクが使うものはカラフルで
かわいくて、車が動くとキラキラとラメのようなスパンコールのようなものが
光るのだ。実際車が光ったほうが移動するときに色々と助かる。
映画館に行く時だって、おしゃれなレストランに行く時だってこれが
助かる。でもこんな需要があるとは見るまで知らなかったから
自分の車椅子事情の無知さを感じさせられた訳である。
だからさらに赤星選手の福祉への興味や選択の経緯に好奇心がわくし、
これからの活動(もちろん活躍もだが、活躍しなくても個人の人間性に
興味があるのでそれは後)に目を見張りたい。
野球界で他にもこういった活動をされている人はいるんだろうか。
彼は今年で28歳らしい。この年代ではどうなんだろう。
もしかして野球文化の”常識”や歴史を考えると
赤星選手の身を削る行動はラディカルなのかもしれない。
(*ちなみに、日本や北米では
”ちょっと社会から外れた行動をした方達が法に罰せられる代わりに、”
”上の人間に反発し、追い出される代わりに”
大きな福祉活動をかなりの期間要求されることがある。ある演歌歌手は個人事務所の設立にあたって業界を干されない代わりにチャリティーコンサートを続けていた、というのは有名な話のようだ。暴力沙汰を起こしたある芸人は謹慎中にボランティア。北米では起こしてしまった事柄によって〜時間、と奉仕活動をするようになっていて良く耳にする。正直野球界の事は本当に勉強不足なのでまさかそんなことはないだろう、というのを前提に話して書いた記事です。)
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by flowfree
| 2005-10-19 15:40
| アクティビズム